立憲民主党・小宮山泰子議員の『白い水』発言を見て思い出した、いや〜な話。味の話をしてるフリで序列つける人、どこにでもいるよね
パンの話から始まる、白い水の話
笑える話じゃないから書こうかどうか悩んだけど……まあ書くわ。
大学生の頃、友だち数人でどうでもいい話をしていた。
「食パンで何が一番好き?」
私はこれ子どもの頃から食べてるとか、自分はアレの食感が好きとか、貧乏学生らしく、そこそこ盛り上がっていたと思う。私も楽しかった。たぶん、あの場にいた全員が、等しく同じ立場に立って話していた。
――あいつが口を開くまでは。
「ノガミが一番おいしいし、それ以外はパンじゃない」
空気が、スン……と死んだ。
当時の私は高級食パンなんて食べたことがなかった。だから反論もできない。ただ黙るしかなかった。「へえ、そうなんだ」とも言えなかった。なんでかって言うと、その一言には“味の感想”じゃなくて、“序列”が入ってたから。
あ、これ、パンの話じゃないな。って、全員が一瞬で理解した空気だった。
それから数ヶ月後、私も一度だけ高級食パンを食べたことがある。
確かにおいしかった。
でも、それだけだった。
毎日食べたい味かと言われたら違うし、あれが「それ以外はパンじゃない」と言うほどのものかと言われたら、正直よく分からなかった。
結局あの言葉は、パンの味の話じゃなかったんだと思う。
「高級であること」を食べて、「分かってる自分」を飲み込んでいただけ。
白い水、という言葉
最近、立憲民主党の小宮山泰子議員のSNS投稿が話題になった。
高価な牛乳と市販の牛乳を飲み比べる場で、市販の牛乳を「白い水」と表現した、という話だ。投稿は削除され、謝罪文も出たが、「謝り方」がまた火に油を注いだ。
政治的な是非は置く。
私が引っかかったのは、あの言葉の構造だ。
「高いもの=本物」
「安いもの=価値が低い」
この単純すぎる図式。
高級パンの話と同じだ。
味を語っているようで、実はただ情報を飲んでいるだけの人。
価格、ストーリー、意識の高さ。
それらを一緒くたにして「これは上」「それ以外は下」とやってしまうと、その瞬間に会話は終わる。パンの話が終わったみたいに。
牛乳だって同じだ。
誰かが毎日飲んでいるものを「白い水」と切り捨てたら、そこには味も生活も人も残らない。
残るのは、“分かってる側”に立ったつもりの気持ちよさだけだ。
ちなみに余談だけど
そもそも牛乳って牛が飲むもので、人間には体質的に合わない人も多い。
実際さ、
日本人を含む東アジア人は乳糖不耐性の人が多くて、
牛乳を飲むとお腹ゴロゴロする人たくさんいる。実は私もそう。
ならさ、もういっそのこと牛の水でいいんじゃないかな。
……牛の水なら白い水よりもなっとくいくわ。
結論
高いものが悪いわけじゃない。
でも「それ以外は◯◯じゃない」と言い出した瞬間、その人はもう味の話をしていない。
パンも、牛乳も、たぶん政治も。
ちゃんとぜんぶ味見してから、話そうよ。